西地中海クルーズ☆ Part 9

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最盛期には約2万人の人々が幸せに暮らしていたというポンペイの街。
その街をヴェスヴィオ山の大噴火が襲ったのは
西暦79年8月24日の午後のこと。
火山から噴き出した高温の有毒ガスと火山灰が
時速100kmを超えるスピードで街を覆い尽くし
一瞬にして約2,000人もの命が奪われたといいます。
また降り続く火山灰は5~6mもの高さになったそうです。
そして、このポンペイは1748年にその姿を現すまで
1,700年間もの長い間、土の中に埋もれ
歴史から姿を消すこととなります。

写真はポンペイを語るときには外せない
高さ1,281mのヴェスヴィオ山

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ポンペイの街へはこのポルタ・マリーナを通って・・・
ポンペイの街から海へと続いていた門で
右側にはビーナスの神殿を建てるために造られた
城壁が連なっています。
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ポルタマリーナの左側には豪邸の跡があり
さらにその下には当時、共同墓地がありました。

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ポルタ・マリーナの道を進むと左手に“アポロの神殿”があります。
正面の階段の前にある白い大理石でできた台はローマ時代の供物台で
その左横にあるイオニア式円柱は日時計を支えていた柱です。

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アポロ神殿の右手にある“バジリカ”
ローマ建築においてバジリカは裁判所や取引所に用いられた集会施設
またはそのような機能をもつ建物のことをいいます。
簡単にいうと多目的ホールかな。
その後、バジリカは重要な公共建築物とされるようになり
市民の憩いの場であるフォロと呼ばれる広場の一辺に作られ
さらに神殿もその近くに建てられるようになり複合施設として機能しました。
その形態を今日、見ることができる最も古いものが
ここ、ポンペイのバジリカで紀元前2世紀頃に建てられたものです。

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フォロはポンペイの政治経済の中心になっていた広場。
この広場には歩行者だけが入ることができたそうです。
今でいう歩行者天国みたいな感じかな(笑)
大きさは38m×157mで
ポンペイの全住民がここに入ることができたんですって!
写真奥の茶色い建物は役所で、フォロの南側にあります。

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フォロの北側にあるジェンマニコの門とジュピターの神殿
ジュピター、ユノ、ミネルヴァの3神を祀ったもので
ポンペイで最も重要な神殿でした。

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ローマ人が作ったフォロの列柱廊跡

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エウマキアの建物と正面にある柱廊
フォロの東側にあるこの建物は
ポンペイの産業を担っていた紡績、染色、洗濯業者の協力もと
巫女エウマキアが建てたいわれています。
柱廊には倉庫が並び、売買の交渉は柱廊の中や
中庭でおこなわれていました。

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エウマキアの建物と並んで建つ食物市場にある柱廊

皮肉にも一瞬にして街や人が壊滅したその悲劇と引き替えに
ポンペイは火山灰によって保護されて
ローマ時代の街並みをいまに伝えてくれています。
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by fleurclasse | 2013-10-11 08:14 | ベルギーでの生活 | Comments(0)

ベルギー・ブリュッセルでの駐在生活日記☆


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